さっきまで、満足していたのに

さっきまで、満足していたのに

さっきまで、満足していたのに

今日は、いい日だったと思っていた。

気になっていた仕事がひとつ進んだ。夕食も済んで、子どもたちも機嫌がよかった。
大きな出来事はなかったけれど、こういう日がいちばんありがたいのかもしれない。

そう思いながら、スマートフォンを開いた。

知っている人の、新しい仕事の報告が目に入る。

素敵な写真。たくさんのお祝いの言葉。私も名前を知っている会社との取り組みだった。

すごいな、と思う。
本当に、そう思う。

でも、写真を何枚か見ているうちに、少しだけ落ち着かなくなる。
プロフィールを開いて、最近の投稿までさかのぼる。
いつの間に、こんなことも始めていたんだろう。

画面を閉じたとき、さっきまで満足していた自分の一日が、急に小さく見えた。

何も減っていない。

仕事が進んだことも、夕食の時間も、子どもが笑っていたことも、そのままだ。

なのに、今日の私は、何かをし損ねたような気持ちになっている。

こういうとき、私はまず、その気持ちを片づけようとする。

人は人、自分は自分。
見えているのは、その人の生活の一部。
比べても仕方がない。

どれも知っている。

それでも、もう一度、その人の投稿を開いてしまう。

私は、何がそんなに気になったのだろう。

仕事の内容なのか。誰かに選ばれたことなのか。
それとも、たくさんの人が、その人の頑張りを知っていることなのか。

最後のものだと認めるのは、少し恥ずかしい。

私は仕事が好きだ。
考えたことを形にしたいし、関わった人に喜んでもらいたい。
それは本当だけれど、ときどき、その先まで欲しくなる。

ちゃんとやっていることを、誰かに気づいてほしい。

自分では十分に頑張ったと思う日にも、外から何も返ってこないと、その頑張りをどこに置けばいいのかわからなくなることがある。

ひとつ認められるとうれしい。
しばらくは安心する。
でも、少し経つと、また次の何かが気になり始める。

前に欲しかったものが手に入っても、それを持ったまま、足りないものを探している。

そんな自分に、疲れることもある。

でも最近、少しずつ変わってきたことがある。

近くにいる人に認めてもらえたとき、前よりも、そのうれしさが残るようになった。
特に、娘から認められたと感じるとき。

私の仕事の規模も、相手の会社の名前も、娘にはまだよくわからないと思う。
私が気にしている、誰と比べてどこまで進めたかということも、たぶん関係がない。

それでも、娘に認めてもらえたと感じると、満たされる。

自分でも少し驚くくらい、その日はもう、それで十分だと思えることがある。

娘は、私の整ったところだけを見ているわけではない。

朝、余裕がなくなっているところも。
「ちょっと待ってね」と言ってしまうところも。
仕事の顔でいる時間より、ずっと無防備な私を知っている。

だからこそ、うれしいのかもしれない。

いいところだけを見せられた相手からの言葉とは、違う場所に届く感じがする。

思えば私は、誰の言葉を「認められたこと」として数えてきたのだろう。

初めて会う人や、仕事で評価してくれる人。
簡単には届かないと思っていた相手。
そういう人からもらった言葉には、何度も思い返すほどの重みを感じていた。

一方で、近くにいる人から受け取るものを、あまりに身近だからという理由で、小さく見積もってはいなかっただろうか。

いつもそばにいてくれること。
私のすることに関心を持ってくれること。
その人なりの言葉で、いいと思ったことを伝えてくれること。

遠くからの評価を待ちながら、もう届いているものを、十分に受け取っていなかったのかもしれない。

そう気づいたからといって、仕事で認められたい気持ちがなくなったわけではない。

やってみたいことはある。もっと遠くまで届けたい。
誰かの活躍を見て、私もそこに行きたかったと思う日も、きっとある。

娘に認められたら、ほかには何もいらない、とまでは言えない。

それに、娘が私を褒めてくれる日ばかりでもない。
私の思うとおりにならないことも、これからもっと増えるのだと思う。

ただ、自分を満たすものが、思っていた場所だけにあるわけではなかった。

それは、最近の私にとって、小さくない発見だった。

誰かの投稿を見て、また落ち着かなくなる夜がある。

そんなとき、娘から認めてもらえたときのうれしさを思い出す。
うらやましさが、すっかり消えるわけではない。
でも、さっきまで満足していた自分を、取り消さずにいられることがある。

あの人の仕事、ちょっと羨ましいなぁ。

今日の私にも、うれしかったことがあった。

今は、その両方を覚えたまま、スマートフォンを置ける日が少し増えた。

このコラムを書いた人

片岡まこ|Mako Kataoka
ウェルビーイングディレクター/空間・ブランドプロデューサー

心と身体、暮らしの豊かさをテーマに、空間づくりやリトリートの企画、企業・教育機関での講演・授業に携わる。
2019年より文化服装学院でウェルビーイングを教える。二児の母。
自身の経験や日々の小さな気づきを通して、自分らしく生きること、心地よく暮らすことを綴る。