安心するまでの時間

はるちゃんは、狭いケージの中で六年間を過ごした。
ほとんど外に出ることのない、劣悪な環境だった。

家族に迎えたころ、はるちゃんは震えていた。足の肉球にはひびが入り、滲んだ血が固まった跡が残っていた。

その足で、どんな場所に立っていたのだろう。
痛いとき、どうしていたのだろう。

見れば見るほど、私には答えのわからないことが増えた。

はるちゃんは、繁殖引退犬だった。

何度も赤ちゃんを産まされ、そのたびに子どもたちと引き離されてきた。何匹産んだのか、私にはわからない。
六年間という長さはわかっても、その中で何が何度起きたのかは、わからない。

私が知っているのは、その時間を過ごしたあとの、はるちゃんの身体だった。

暗闇の中にいたはるちゃんは、光を怖がった。
散歩に出ると、ストレスで一週間も下痢が続いた。

外に出て、風に当たって、一緒に歩く。私には気持ちのいいことが、はるちゃんにとっては、身体の具合を崩すほどのことだった。

これからは、いろいろな場所へ行ける。
広いところを歩ける。

そう喜ぶのは、私のほうだった。

ほとんどケージの外を知らずに過ごしたはるちゃんには、どこまで歩いていいのか、何が近づいてくるのか、その音が何なのかさえ、わからなかったのかもしれない。

家に帰れば、散歩は終わる。
でも、お腹の具合はすぐには戻らない。
私がもう終わったと思っていることが、この子の身体では、まだ終わっていなかった。

目の前に立つと、はるちゃんは首をすくめた。
叩かれるのではないかと、身構えているように見えた。

こちらは、ただ顔を見たかった。近づいて、触れたかった。
でも、そんな私の気持ちは、はるちゃんにはわからない。

目の前に大きな身体が立っている。上から手が近づいてくる。それが何をする手なのか、この子は確かめなければならなかったのだと思う。

怖くないよ、と伝えたかった。

けれど、私がそう思っているだけで、はるちゃんの怖さがなくなるわけではなかった。

家族に迎えたその日から、私ははるちゃんを家族だと思っていた。

はるちゃんのほうは、どうだっただろう。
知らない場所に連れてこられて、知らない人がそばにいる。ここで何が起きるのか、まだわからない。
私にとっては、新しい暮らしの始まりだった。その同じ日にも、はるちゃんは首をすくめ、震えていた。

安心してほしい。
早く、くつろいでほしい。

その願いの中には、私自身が早く安心したい気持ちもあったと思う。

震える姿を見るのはつらい。近づいたときに身構えられると、胸が詰まる。私は怖いことをしない人だと、わかってほしくなる。
そのたびに、六年間のことを考えた。

私はその時間を見ていない。見ていないのに、ここに来たのだから、そろそろ大丈夫だと思ってほしくなっている。
はるちゃんに必要な時間を、私の気持ちで決めることはできなかった。

一緒に暮らしながら、反応を見て、向き合い続けた。
少しずつ、はるちゃんが見せてくれる姿が変わっていった。

尻尾を振る。
お腹を見せる。
表情がやわらぐ。

犬と暮らしている人には、見慣れた仕草かもしれない。
でも、震えていたはるちゃんを知っている私には、ひとつひとつが大きかった。

私がそばにいても、くつろいでいる。
それがうれしかった。

うれしくて、触れたくなる。名前を呼んで、こちらを向いてほしくなる。

でも、こちらを向かなくてもいいのだと思う。

私が何をするのか、ずっと見ていなくてもいい。近づく気配のたびに、小さくならなくてもいい。
そうやって過ごせる時間が、この家に増えていけばいい。

六年間にあったことを、私は消せない。

何匹の子を産んだのかも、どんなふうに別れたのかも、わからないままだ。
それでも、今、目の前にいるはるちゃんの表情は見える。

お腹を見せて、くつろいでいる。
呼吸に合わせて、そのお腹がゆっくり動く。

触れたいと思った手を、自分の膝に置く。
今は、この姿を見ていたかった。

МАК KATAOKA • JOURNAL

日常と、心のあいだ。

ふと立ち止まった瞬間に、見えてくるもの。
片岡まこが綴る、日々のこと、心のこと。

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このコラムを書いた人

片岡まこ|Mako Kataoka
ウェルビーイングディレクター/空間・ブランドプロデューサー

心と身体、暮らしの豊かさをテーマに、空間づくりやリトリートの企画、企業・教育機関での講演・授業に携わる。
2019年より文化服装学院でウェルビーイングを教える。二児の母。
自身の経験や日々の小さな気づきを通して、自分らしく生きること、心地よく暮らすことを綴る。