
大丈夫、と答える前に
「ひとつ持とうか」
そう言われたとき、袋の持ち手は指に食い込んでいた。
痛いというほどではないけれど、家に着いたら赤い線が残って、しばらく消えないだろうな、というくらいには重かった。
「大丈夫、ありがとう」
答えてから、持ってもらえばよかったと思った。
どうして、言われたときに考えられないのだろう。
大丈夫かどうか。持ってもらいたいかどうか。
ほんの数秒、自分に聞けば済むことなのに、その数秒を相手に待ってもらうことさえ、私はためらっているのかもしれなかった。
相手はうなずいて、歩き始めた。
何も悪いことは起きていない。
親切にしてもらって、私はお礼を言った。
袋を持ち直す。指の同じところに、また重さがかかる。
私は人に頼られるのが嫌いではない。
何かできることがあれば、したいと思う。
頼んでくれてよかったと思うこともある。
ひとりで困っていたのなら、もっと早く言ってくれればよかったのに、とさえ思う。
その「もっと早く」を、自分にはなかなか使えない。
頼もうとすると、相手の一日が気になり始める。
今日も忙しかったのではないか。これから何か用事があるのではないか。
私には見せていない疲れがあるのではないか。
そこまでは、相手を思いやっているように聞こえる。
でも、断られるのが嫌なのだと思う。
少し間があいてから、いいよ、と言われるのも怖い。
その間に、どれほどの迷惑を自分が持ち込んだか、測ろうとしてしまうから。
そして、迷惑をかけたという気持ちを抱えているくらいなら、自分で疲れているほうが楽だ、と思ってしまう。
疲れなら、慣れている。
どうにか終わらせて、眠ればいい。
相手が本当はどう思っていたかということは、眠ってもわからない。
仕事でも家でも、自分でやったほうが早い、とよく思う。
何をしてほしいか説明して、必要なものを渡して、どこまで終わっているか伝える。
その準備を考えただけで、もういいや、となる日がある。
「何か手伝えることある?」
ありがたい言葉なのに、私は頭の中で仕事を始める。
何を頼めるだろう。何なら説明が少なくて済むだろう。
途中で呼び戻されずに任せられるものは、どれだろう。
答えが出ないまま、相手を待たせている。
大丈夫、と言う。
会話が終わる。
少し、ほっとする。
やることは、全部残っている。
そのまま夕方になり、夜になり、疲れてくると、私はだんだん腹が立ってくる。
なぜ私が、こんなにいろいろ覚えていなければいけないんだろう。
少しくらい、自分で見つけてくれてもいいのに。
そこまで考えて、さっき手伝おうとしてくれた人のことを思い出す。
私は、断ったのだった。
断ったのに、わかっていてほしかった。
大丈夫と言っている声の、どこかを聞き分けてほしかった。
平気そうにしている私を、そのまま信じずにいてほしかった。
それなら何と答えればよかったのか、と相手に聞かれたら、私は困ると思う。
困って、そんなこともわからないの、と心のどこかで思うかもしれない。
自分にも、わからなかったくせに。
私は何を望んでいるのだろう。
用事がひとつ減ること。
それは、もちろんそうだ。
けれど、それだけなら、頼んで引き受けてもらえば済むはずなのに、そこにまだ、言い残したものがある。
私が困っていることに、私が説明する前に気づいてほしい。
自分の視界に、私を入れておいてほしい。
そう書くと、胸のあたりが少し落ち着かなくなる。
そんなことを望んでいたのか、と他人の文章を読んだような気持ちになる。
頼むのが苦手、という言い方の中に、ずいぶんいろいろなものをしまっていた。
もちろん、一緒に暮らす人との間で、いつも一方だけが気づき、考え、お願いし続けるのは苦しい。
それを全部、私が素直になれば済む話にはしたくない。
そのことと、目の前で差し出された手を受け取ることは、ひとつずつ考えてみてもいいのかもしれない。
荷物を持ったまま、少し遅れて歩く。
さっき断ったばかりなのに。
この程度の距離なのに。
もうすぐ着くのに。
理由がいくつも浮かぶ。
どれも、今まで何度も使ったことのある理由だった。
「あの、やっぱり」
相手が振り向く。
「こっち、持ってもらってもいい?」
袋を渡すと、あっけないくらい普通に受け取ってくれた。
相手の顔を見てしまう。
重くなかっただろうか。嫌ではなかっただろうか。
大丈夫だった? と聞きかけて、やめた。
「ありがとう」
指には、もう赤い線がついていた。
歩きながら何度か手を開いたり閉じたりして、それから、ずれていた袖口を直した。