
休む理由を、探している
予定がひとつなくなると、ほっとする。
移動しなくていい。準備もしなくていい。今日は少し、ゆっくりできる。
そう思ったはずなのに、私はもう、その時間に何ができるかを考えている。返せていなかったメール。途中になっている企画書。
ずっと気になっていた家の用事。空いた時間は、空いたままでは落ち着かない。
全部終わったら休もう、と思う。
全部終わった日は、あまり覚えていない。
私は、ヨガやウェルビーイングを伝える仕事をしている。
自分の状態に気づくこと。無理を重ねないこと。休むことも必要だと、人には伝えている。
その言葉は本心だし、疲れている人を前にして、もっと頑張ってほしいとは思わない。
でも、自分に対しては条件がつく。
この返信をしてから。
明日の準備をしてから。
せめて、ここまでは。
私が私に休んでいいと言うのは、たいてい、もう十分に疲れたあとだ。
子どもがいて、仕事があって、暮らしがある。時間が足りないのは事実だ。
でも、忙しさの理由をすべてそこに置くと、少しだけ、自分に都合のいい説明になる気もしている。
私は、仕事をするのが好きなのだ。
考えていたことが形になるとうれしい。提案への返事が来ると、その先を考えたくなる。
頼りにされることもうれしいし、期待に応えられた日は、自分のことを少し好きになれる。
だから、誰かにやらされているだけではない。
自分から引き受けて、自分から予定を埋めている。
その楽しさと、疲れは、別々には来てくれない。
スマートフォンを置いても、返事が気になる。子どもと過ごしていても、仕事のアイデアが浮かぶ。
仕事に集中できた日は、子どもの話をちゃんと聞いただろうかと、あとから考える。
どこにいても、別の場所で足りなかった自分がいる。
休むことにも、私は理由を用意したくなる。
明日、いい仕事をするため。
家族に優しくするため。
体調を崩さないため。
どれも本当だ。でも、誰の役にも立たない休み方を、私はどれくらい許せているのだろう。
何も思いつかず、何も片づかず、ただ時間が過ぎる。
そのあと特別に元気にならなくても、休んでよかったと思えるだろうか。
人に休息を勧めるとき、私は相手に成果を求めていない。
休んだぶん、明日はもっと働いてください、とは思っていない。
それなのに、自分の休みには、あとで何かを返してもらおうとしている。
ここまで書いて、最後に、何か前向きなことを言いたくなった。
これからは自分にも優しくしたい、とか。
何もしない時間を大切にしたい、とか。
でも、次に予定がひとつなくなったら、私はきっとまた、できることを数え始める。
そのとき、すぐに予定を入れる前に、自分に聞いてみたいことがある。
今日、誰にも説明しなくていいなら、この時間をどう過ごしたい?